動き続け変わり続ける 揺れない心

人生というのは天に完璧に決められてるから、完全に自由。"自分である"うちは、自由が何かはすべてが教えてくれるんだよ。

細かい設計と質

最近になってやっと使い始めたインスタグラムでストーリーズを計3回あげたけど、今のところすべてカフェでの写真。まだ3回だけどもレパートリーの無さと初心者感が否めない僕です。

※誰かインスタの師匠になってください

 

夏至を通り、夏感が強まってきましたね。そんな中、近所のカフェに来たのは2回目。

※ここ好きです

メニューにはパスタやサンドイッチといった食もあり、ドリンクはわりと豊富なうえ、主に350円〜400円の価格、さらにドリンクのおかわりを+150円するたびにできるサービス。

※おかわりのドリンクはフロート以外何でもいい

 

個人的には気に入ったお店です。

 

来たのはいいものの、場に慣れると集中を切らしてきちゃったので、(インスタの投稿一つに時間かかっちゃったのもある)

せっかくカフェに来たし、お店についてを考えてみました。

 

立地によって考える設計

 

ここのお店はというと、車通りのある道筋に面した所に建っている。フィットネススタジオなるものと隣り合わせになっているのもあって、駐車場は広め。

 

外にはテラス席のような感じで、タイル床上にいくつも日傘(パラソル)が差されていて、その下に机と椅子が設置されている。

中にはブランコ式の席もある。とても好き。

 

2日前に初めて来たので知らなかったけど、実際のところお客さんは結構入ってくる。

『結構人気なんやなぁ』と思ったが、どうやらこれをただ「お客さんの人数」というカウントで考えるのは乱暴のようです。

よく考えてみると、お客さんは多くいるけど、「多く入ってきている」というよりも「着席している人数が多い」ようだ。

ドアを開くたびに鳴るベルの回数も多いわじゃない。つまりお客ごとの「滞在時間が長い」ということ。

※現に僕がこの記事を書き始めたときには、カフェに入ってから既に3時間ほどが経過している

 

いつ学んだのか覚えてないけれど、まともに商売もやったことのない僕ですが「客単価」「回転率」の言葉は知っている。

※客単価=売上高/来店客数

…消費者1人あたりの一度の購買平均額

※回転率=1日の来客数/店舗の客席数

…1日あたり何人が座ったか

 

そのおかげかふと、このお店についてのそれを考えてみたくなったんです。

 

まず、「滞在時間」に注視したときに必要な「居心地のよさ」に必要なものは何かを、思いつく限り考えた。

・席の配置

・店内に流れる音楽(BGM)

・素材や店内設計による雰囲気

・飲食の提供内容

などが主なところ。

店内を流れるBGMは優しめで、落ち着きのある洋楽ものや歌詞のないもの。あと、今のところ女性が歌っているものしか流れていない気がする。

※やさしめの声。ずっと同じアーティストかも。

※結局店を出る時まで、女性の曲だけだったと言いたいところ、最後聴いたのは男性だった。

客席は個室になっているわけじゃないが、席の集まりをちゃんとグループ分け(席と席の間に壁や空間を設ける)することで、他者の目線等を気にしづらい設計になってたりする。

またライトはオレンジ色のある暖かめのものと、白の明るめのものを交互に配置されている。

ライトについては、全然何の意図があるのかわからなかったので調べてみたところ、「色温度」というものがあった。

名前でややこしいけど、決して光源の"温度"や"明るさ"を表すものじゃなくて、簡単にいうと"色のあたたかさ"を表しているものらしく、色温度の単位はK(ケルビン)で、これが低いほど暖色系の色、高いほど寒色系の色を示すみたいです。

これが3,300K以下だと僕らが暖かめに感じる色になるという。あとは照明(照度)の調整次第で、我々の心身に心理的なリラックス効果をもたらしてくれるようにするらしい。

で、実際この日居た店の照明がどうなのかは、よくわからない笑

※今度また聞いてみようかな

※ちなみにスマホやPCでよく聞くブルーライト色温度6,500K以上の寒色系

 

あと、椅子の座り心地も大事だろう。ソファ系統であった方が、心理的に落ち着きも生まれる。実際店内の席の全てがソファ系統だ。

逆に、駅前のカフェなどでは、人がとても多く通る上、通勤・通学の前後に必要とする人(ニーズ)が多いためか「回転率」を重視していると聞いたことがある。

なので駅前の店舗では硬めの椅子、あと席と席どうしの間に壁や空間を設けない事で、意図的に居心地の悪さを与えてたりする。

※表現悪いなすみません

※今まで駅前のカフェとかも行ったことあるけど、店舗によっては加えてソファ系の設置もしている。と思う。

 

なので、僕が来ているこのお店では「客単価」を重視した設計になっていることがわかる。

あとこのお店に至っては、「+150円ごとに何でもドリンクおかわり」のサービスが結構効いてそう。

店員さんに聞くと『お客様によっては3杯以上おかわりする人もいます』とのこと。

※実際僕はこの日ドリンクを3杯おかわりした

※アイスコーヒー→ウインナーコーヒー→キャラメルラテといった感じ。満足。

ちなみに個人的な意見として、『コンセント挿せるところがあったら嬉しかったなぁ』(クソ素人意見)とか思ったけど、電気代がコストに加わる上に、スマホやPCを延々と使えてしまうので"ただの滞在者"が溢れ返りそうな気もする。

つまり、"ただ居心地の良さを提供すればいい"というわけではないのだろう。

 

なんか楽しくなってきた

 

ここで僕が気になったのは、テラス席の方。

とくにここ最近気温も上がってきた。いよいよ夏がくるなぁという季節。頭をよぎったのは、炎天下の中わざわざ外に座りたがる人っているのか?真冬の外で座りたがる人は?といったところ。

時期によって"ブレ"がありそうと個人的に気になった。

 

ので!店員さんに聞いてみた。

※閉店間際にすんません

ただ、長く勤めてらっしゃらない、研修の方だったので、冬の時期についてはわからないとのこと。

※また今度別の人にも聞いてみよう

夏でいうと、確かに減りはするが、いるにはいるみたい。今日だけでも確かに外にわざわざ出る人もいて、例えば『エアコンの風に当たりたくない』といった理由で外に出る人もいるそうだ。

要は、"炎天下の夏の日に外で座りたがる"という「外に出たい」が理由ではなく、「店内から出たい」に焦点が当たるということ。

※"真夏に外に座りたがる"視点で最初に考えた事を反省

こう考えてみるとやっぱりおもしろい。知らない世界はおもしろい。

実際はもっともっと細かく設計してるんだろうなぁ。

 

と、考えたりしてみた日。あとは今日の気づきと学びをどう解釈し、具象化し、いかに自分の状況に落とし込むかが勝負。

とりあえずわかったことは、活動内容によって「質」が姿形を変えること。「質の高さ」は一つじゃないし、単純ではないこと。もっとちゃんと考えなきゃいけない。

※ここからが本番

※わかったことはとりあえず自分のコミュニティで共有しようかな

 

ていうか、集中切れたから記事書き始めたって変な話よね。

※でも結局書き終えたのは家帰ってから

※なんならもう日付変わる

※色々書いたけど、ど素人だから全然間違ってる可能性は絶大。間違ってたらさりげなく内容が変わってると思います。

いのちは有限

今は、

 

生きてる。

 

確かに生きてる、

 

息してる、動ける、喋れる、書ける、考えれる、遊べる、笑える、悲しめる、食べれる、寝れる。

 

確かに生きてる。

 

今は。

 

 

 

じゃあ、

 

明日も生きてるかな。

 

来年もこうして、

喋ったり遊んだり、

笑ったり悲しんだり、

食べて寝て遊んで、

できてるかな。

 

 

 

人生は有限です。

 

「生きてる」のは当たり前じゃない。

 

むしろ生きている以上、

 

人は「死ぬ」のが当たり前だと思ってる。

 

ただでさえ年月ってのは、

過ぎるのが早く感じるものなのに、

 

 

人はいつか死ぬって

 

 

考えてみたらそりゃまぁそうで、

ずっと生きてるわけはないよね。

命がある限り、

いつかは終わるもの。

 

生まれたのがスタートなら、

死ぬのがゴールってことです。

 

 

僕も、あなたも、お前も、あいつも、

 

僕やあなたの、大切な人達も、

 

今日喋った友達が明日もいるとは限らないし、

昨日会った人が今どこかで事故にあって死んでるかもしれないし、

家族の誰かが来年には重い病気にかかってるかもしれない、

 

そんなことないって、思いがちだけど、

っていうかそんなこと常日頃から考えてないかもしれないし、頭に入ってないかもしれないけど、

 

明日もあなたは、生きてるかな。

明後日も、来週も、来月も、半年後も来年も、

無事といえるかな。

 

 

ところで、

事故にあって死んだ人達がその日の朝、

今日まさか自分が死ぬなんて思うでしょうか。

病気にかかった人達がまだ元気な頃、

数年後には病に倒れてるなんて考えるでしょうか。

 

今日・明日に、

巨大地震がくるかもなんて、

常に一分一秒隙なく考えて過ごすようには、僕はできてないです。

 

けどこないなんて保証はどこにもない。

 

だから

 

できる限りの意識を身体中に巡らせる。

 

「もしかしたら」を

「たとえば」を

考える。

 

 

大事なのは、

 

死んだ人には何もしてあげられないって事。

 

今、生きてるうちに、

 

生きてるうちにしかしてあげられない事がめっちゃくちゃあるってこと。

 

 

家族、恋人、友達。

今あなたが思い出した、

その大切な人達が生きてる間に、

そしてあなたが生きてる間に、

 

 

“どれだけの事を、どれだけの想いを込めて、行動にできるか”

 

 

それは"今"しかできないこと。

"生きてる今"しかできないことです。

 

"イメージ"してください。

 

あなたが何気なく過ごしている日々の中で、

近くにいる人々、家族も友達も恋人も、

守りたい人から大事な人から好きな人まで、

 

"もし"、いなくなったらどう思いますか?

 

"たとえば"、今までどおりじゃなくなったら?

 

 

僕は、

今日会う友人達が、明日も無事であることを祈っています。

それは命の話でもあり、

精神面…つまり笑顔が消えてほしくない、

という意味でもあります。

 

行ってきますと家を出た母親が、弟が、妹が、

また、ただいまと帰ってくることを、

祈っています。

 

 

何より、自分の無事を忘れちゃ本末転倒ですよ。

 

 

ちゃんと、しっかり、つよく、

強く強くイメージして、想像して、

家族が死ぬということを強く想像して、

嫌な気持ちを得るんです。

 

それがそのまま"動く力"になり、

"守る力"になります。

 

 

 

これは、生き死にだけの話じゃなくても、

 

「あの子がもしも事故にあったら」

って思ったのなら、

「あいつがもしも襲われたりしたら」

って思ったのなら、

 

伝えるべきだと思います。

 

事によっては先走りすぎなのかもしれないけども、

まさに、「やらない後悔よりもやった後悔」

 

…ではなくて、一番ベストな

「やって後悔しないこと」だと思います。

 

僕自身は、

守るということと、

後悔しないことの為には、

 

想像力が最も必要だと考えています。

 

「もしかしたら」でいい。

起こる前じゃないとできない事があるから、

「イメージ」でいい。

 

 

その為に、

 

一番嫌なことを想像して、

悲しんで苦しむ。

 

それで想像して想った分、

 

その大切な人達を、

 

もっと大切にできるようにする。

 

 

言葉も、行動も、

 

「今」じゃないととできないことが、

 

たくさん

 

ほんとにたくさんあるから、

 

 

 

もっとイメージしよう。

 

 

 

いのちは有限だから。

どうも。

おはようございます。

こんにちは。

こんばんは。

 

なんか、

なんか書こうと思って始めてみた。

 

自分のメモ帳とかに書き起こすばかりで、

自分の中に閉じ込めておくばかりで、

 

そうじゃなくて、

「自分の考え」だからと、

「人とは違う」からと、

閉じ込めていては、またそれも、

狭めるだけ。

 

それに、

なんかそんなのじゃなくても、

小さな気づきや、アイデア

日常の何か、くだらん事でも、

こうして書き起こしてみるのも、

いいのかなって、

思って、

 

なんか、

なんとなく始めました。

 

あい。

よろしくお願いします。